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忘れてはいけないのは細川忠興にとって都合の悪い資料は処分されてる可能性があるということそういう「行間」を読むのも大事
で、あなたの読んだ行間はなんなのですか?
忠興は光秀の誘いをきっぱり断ってるし、細川家は忠興のやばいエピソードを公式の歴史書(綿考輯録)に残すくらい自家の過去に誠実なの知らなさそう光秀に賛同しなかった忠興にとって都合の悪いことって何?
光秀の娘の細川ガラシャのことやないですかね。もし光秀がうたれたら細川家に害が及び、関ヶ原以前に早々に細川家が秀吉に謀反加担したと切腹をせまられてもおかしくはないですから。細川ガラシャすなわちたまこは丹波に3年間幽閉されております。このあたりは秀吉と密約があったような気がしますね。たまこさんは可哀想なお人です。
都合の悪いことは秀吉とのつながり。万が一秀吉が織田家に謀反をくわだてていると露見したら羽柴家ともどもお家断絶なります
@ 秀吉は謀反なんて企ててないから
これは以前から知られていた資料で別に新しいものではない。その上でいろいろな意見があるのですから。
この辺りの時代には詳しくないけど、今さら新資料が見つかったら史学会がひっくり返ると想像がつく。だが今回の史料だけでも、大河で描かれる人物像の出典が少し見えた気がする
秀吉さん手回すの一歩早いな。さすが。
三国干渉の際のロシアの「極東の平和のため」という名目上の理由を見て「ロシアは極東の平和のために三国干渉をしたんだ!」って言ってるようなもんやな
日本が極東平和のためとアメリカに奇襲攻撃したようなもんかな。最後まで成功しなければ安定の反逆者になっちゃうね
俺らがLINE送るときも本音と建前を全力駆使してるんだから400年前もそうだろって思う
いや本当に君は素晴らしいねBy井沢元彦
平安時代やら古代エジプトの人らも「最近の若い者は」って言ってるからな根本は変わらない
昔は建前がもっと大事だったしな。
光秀の手紙は言い訳と方便であって、そこのところを深読み出来る聴き手を付けて欲しかった。
古い資料を写真では見たことあっても、解説付きで見たのは初めてです。直筆の手紙をよく見れました、ありがとうございます🎀
他意はない。は無理がある。自分のためではないとは、ただの方便に過ぎない。
>他意はない。思わず斎藤元彦の「認識はない」「記憶にない」思いついた。今回の公職選挙法違反に対してもなお「認識している」「認識はない」とか正面から答えずに曖昧に逃げ答弁繰り返してるのが腹立たしい。
@@waiz_acいや、本人の映像あるんやけど?
そりゃそういうしかないよな。昔の人だってバカじゃないw
昔からある手紙じゃん、どこが発見よ。さすがTV。
史料批判の方法を理解しなくても「他意はない」をそのまま受け入れる人はいないでしょうね
2:37 1か月はおろか光秀の軍勢に囲まれるまで疑っていなかったので討たれた。光秀側からすると(いつから叛意があったか分からないが)ずっと秘匿あるいは決断していなかったために信長は油断したが、同時に誰にもぎりぎりまで打ち明けていなかったので計画性が無かった。(信忠宿泊の妙覚寺を囲まず、逃げられてもおかしくなかった。また、山岡景隆に瀬田橋を焼かれて安土への行軍が遅れた。これは相対的に秀吉の東征が早くなったということでもある)
この内容はすでに歴史好きなら、皆知ってると思います。
新事実が発見されたのかとドキドキしたけど、なんだ。
こんな手紙、もう嫌と言うほど調査研究済みだろ。今初めて分かった事みたいに言うなよ。そもそも人は手紙で本心を語るとは限らない。
6/9付の手紙は結構前に発見されています。いくら?マークをつけているとはいえ、『スクープ』と銘打つのはおかしいと思料します。
だから信用できないんです、マスコミを。
「明智光秀覚三条」は実物を見てきたが絵画のように美しい手紙である。空間の使い方、字の美しさなどこの永青文庫の中でも別格だった。あまりに美しいので右筆が作成したのではなかろうかと思うのだがもし本当に光秀の自筆ならば私は光秀の知性を一段下に見ていた事になる。まるで工芸品を思わせる手紙の美しさから光秀が坂本城・丹波亀山城・福知山城を作った城作りの名手、すなわち優れた建築家だった事を改めて思い起こされた。
スクープが資料館にあるなんてどこがスクープなんだよアサヒさん
意外と価値が分からずに収められてるのあるよ
地元の人しか認識してない遺跡みたいなもんか
証明されて初めて意義のある資料になる。まだまだ歴史には伸び代がある。面白い!
少なくともこんな手紙はず〜っと前から知られていたし、その中にある理由は単に細川を味方につけたいが為の方便だろうとされていて殆ど注目されてないわな
@@fuyugaki 稲葉教授が仰るように、残っている手紙は限られており真相なんて大して分からない罠。だが長谷川光秀が書きそうな書状ではある
皆様がご指摘のとおり、50年以上前から知られている。また光秀の花押が他の光秀の書状と若干異なっており、近年では偽書ではないかとの指摘もある。
この手紙を読んで思ったのはルイスフロイスの日本史に書かれているように光秀はそもそも権謀術数に秀でた陰謀が得意だけど、戦略は全然考えてない人間で、逆に信長は優れた戦略家だったけど、権謀術数に疎くて騙され撃たれんだろうってこと。
良い見解ですね!だから相性が良く、信長は信頼していた。
@@Dracaena-ng9uiありがとうございます😊自分を重用してくれている信長を討つと言うとんでもないことしておきながら、その後に一緒に行動してくれる人間を事前に根回してなかったのは明らかに計画性がないですし、その後誰も味方になってくれていなから人望も無かったんでしょう。嘘つきには誰もついて行きませんからね。数多くの有能な武将が集まって来た信長とは真逆です。
お主と意見が一致したな・・認めよう!
偏差値秀才だな
実際に本能寺の変に参加した武士の記録である本城惣右衛門覚書にはあの変の時に本能寺の門は開け放たれてあったとある。驚くべき事である。現代の平和な日本ですら自分の家の鍵をかけない人は稀だろう。あの天正10年6月までに信長は敵という敵を殺し尽くし、裏切りそうな味方は追放しまくってもう安心しきっていたのである。「油断するな」は信長が部下に送る手紙にしばしば出る言葉だったが、その当人があの6月1日の夜には油断しまくっていたのである。本能寺に一番乗りをした本城惣右衛門は敵兵の首を二つ取り、褒美として槍を一本もらったとある。
最終日12月1日に母と永青文庫に参りました。母方の江戸後期の先祖が天皇家に関わる為に古代からの家系がネットで確認出来る為に先祖の男系先祖が藤原兼家、道長、頼通と分かり、他に学校で学んだ多くの歴代の先祖がおり驚きました。明智光秀とは前田利家とまつの末娘の千世姫と細川忠興とガラシャの息子の忠隆との娘の徳姫が西園寺実晴に嫁ぎ直系先祖となります。永青文庫の展示品は全て湿温空調機で保存されておりました。信長の手紙も興味深く明智光秀の3箇状は光秀の気持ちが伝わる感じでした。僧侶への征伐は本能寺の変迄続いたとある本で知りましたが、このままではとの思いが有ったと勝手に思っております。光秀の手紙の隣に信長の側近をしていた先祖の堀秀政の文章が有り、又細川幽斎と忠興の甲冑も展示されておりとて幸せでした。帰りに美しい細川庭園を散策して帰りました。91歳の母からは感謝されました。こちらの動画を見なければ見逃しするところでした。有難う御座いました。
光秀の手紙自体は相当以前に見つかっており、知っていた。おそらく内容を知っている人もかなり多いのではないか。ただし、本能寺の変を起こした目的がはっきりしていない。すなわち、どうして信長を亡き者にしたのか、またどうして自分は隠居して天下を忠興や自分の息子のものとしたかったのか、書かれていない。そのあたり、細川藤孝は知っていたのか?もちろん知るわけは無いが。
そもそもとして現代の一般人の価値観と戦国時代の武将の価値観が同じなのか?っていう問題よく言われてるけど、光秀は優秀だからもっと綿密に計画するはずとかいう考察も現代の感覚から出てくる発想でしかない戦場で一か八かの奇襲するように、勢いで謀反やることも十分に考えられるだいたい上手くいった話しか語られないだけで失敗した話も当然あるわけでその失敗した話が歴史を大きく変えたからここまで語られて、あれやこれやと考察されてるだけその発端は朝廷とかではなく、「イケそうだったから行った」っていうしょうもない理由なのかもしれない
明智光秀は若いころから細川藤孝を知ってるわけだし、細川忠興の正室は明智光秀の娘。細川家と事前に相談しなかった理由はどこにあるんでしょう?計画的ではなかったということなのだろうか。
機会があれば下剋上はしようと思っていたでしょうその機会がたまたま揃ったということですね有力武将は畿内にはおらず、敵と戦闘中で畿内にはずぐには戻れない(柴田、羽柴)。滝川一益も関東ですぐには帰還できず、四国遠征軍は編成途上。有力武将の徳川はわずかな供回りで堺、織田家最大軍団を率い家督も継承している信忠(美濃・尾張・甲斐・信濃を支配)は、やはり僅かな供回りで京に滞在していて(会長:信長、社長:信忠)同時に討ち果たすことが出来る。条件が一つでも揃わな刈れば実行はしなかったでしょう。誤算は秀吉の素早い軍勢を率いての帰還であり、これがなければ明智の天下になっていた可能性が高いです。
光秀としては、細川藤孝その他に根回しはできていたつもりだったんじゃないかなぁ。勝算がなければやっぱり打って出ないと思うんだ。
@@くら-h8j 事前に根回しなどしていたら、そこから謀反計画が漏れる可能性があるのでやってないでしょう。勿論、勝算があるので信長、信忠を同時に殺したわけで、筒井などは秀吉の大返しが早く、結局は洞ヶ峠になりましたが光秀に合流しようとしてました。細川も同じで、いやいやながらというポーズで合流していたでしょう。あと一週間、秀吉の帰還が遅ければ光秀の天下になっていた可能性が高いと思います。
謀反は事前に言えないともいえますが、親戚とは言え与力大名の細川藤孝には悩みを相談しない。実際に謀反をきめてから、実行までは短時間になされた、計画性はないものだったのだろう。
光秀の手紙がどこまでが本心であるかはともかく、個人的に「他意はない」には光秀の焦りのようなものが感じられるんですよね。変を知ったところで寡兵の丹羽はもちろん、羽柴、柴田、滝川が直ぐに軍を動かせる状況ではないという事は折り込み済みだったでしょうけど、それでも畿内周辺の有力者を可能な限り迅速に取り込んでおかなければ、いずれは窮地に立たされる事になるわけで、特に姻戚関係にあった細川に対しては光秀の懇願にも近い思いが込められているように思えますね。
忠興と秀吉の裏の関係性•やりとりも分かっていた。綱引きですよね。
なんかもう必死だなという感想しかないですねこの手紙
細川と明智の内々の手紙は、秀吉に見つかる前に細川自身が処分してるだろうから真相は謎だな
真相も何も光秀方に付かなかっただけだぞ勝手に妄想するのは歴史学じゃない
@ 別に俺学者じゃないから、勝手に想像してワクワクするのも歴史の醍醐味だろ
@@metalgakip6362 「妄想の醍醐味」な?
この時代「他意はない」は真実であっても、もっとも怪しまれる言葉。嘘でも、欲のある言葉を吐かないと人は信じない
なぜ今、朝日が取り上げて放送するのだろう。
明智光秀🟰長谷川博己になってしまう
やっぱ歴史ってめちゃくちゃ面白いな
重要文化財だね
備中高山城ってなんだよ。高松な。ニュースしっかり!
これは以前から存在分かってた手紙じゃん。
こういう驚いた表情の美人も良い♡
光秀の手紙の冒頭部分「しかし、こうなったからには」という部分が引っかかる。
スクープ?ってメディアが敵視するsnsの大好きな釣りタイトルですね。スクープでもなんでもないのがわかってるからこその「?」こういう積み重ねが信頼を失う原因だと気づかないのだろうか
引っ張ったわりに知っていた話し悲
11月5日の西日本新聞に、連載中の和田竜「最後の一色」でこの手紙のことが出てくるけど偶然ですかね
偶然ではないと思いました。
昔より今が大事。歴史は作り替えられる。
これは重要だ 陰謀論に終止符かぁ
赤い服のお姉さんが美人で、話しが入って来ない。
元乃木坂46の斎藤ちはるさんですね
話し
@@wolverin0001240代前半の美魔女かと思った
私は明智光秀、武田家と内通説が今一番信じています。
朝も地上波視ていましたが斎藤ちはるアナウンサー色っぽくなりましたね。
なぜ今更この書状を?
日本中に手紙が飛んで、旧家の土蔵に人知れず眠っていたものが、先の戦争の空襲で焼けてしまった。多くが失われたことは残念である。
はんにゃ金田「はああぁぁ~~ 本応寺燃えとるしぃ~~~」
他意は無いの意味がわからん。周り敵だらけなのに次代に引き渡すって、死なせたいのかね。
光秀の一番の特技は「嘘をつくこと」だよ。
信長は明智のことをイジり過ぎたよな😅
目新しいものではない。三十年以上前に内容解ってます。五十日いや百日で、畿内を征す…云々…どこが新発見なのか?何方か同じ指摘されてますね。
明智光秀「ムシャクシャしてやった」
はんすうしている
光英の手紙だけで、真実は分からない。本能寺の変後の手紙なら尚更分からない。決めつけは良くない。むしろ方便の可能性大。
秀吉と藤孝の同盟成立が早過ぎはしないか?やはり秀吉は事前に本能寺が起こる事をしっていたのか?
やっぱ秀吉怪しいよなぁ。
@ あの思うんだけど、秀吉は高松に居たのにこれだけのスピードで藤孝とどう同盟を成立させたのか?とても不思議です。手紙のやり取りだけでも結構な日数が必要だと思いますし・・・
@@俺参上-j2d 光秀は単純に距離が近いから分かるんやけどそれを上回る圧倒的速度で同盟締結までやってる秀吉は不自然だよなぁ。光秀が1番の盟友である細川家を頼るだろうと読んで先手を打ってたとしか思えん。
@@-45om78 返信ありがとうございます。藤孝が本能寺を知ったのが翌日らしいです。どちらにつくのか?迷ったと思いきやその日に光秀に絶縁状を送ってるらしいです。光秀は秀吉、藤孝にハメられたのでしょうか?歴史とはとてもミステリーですよね。
@@俺参上-j2d 翌日に知るや否や細川親子で髪を剃って信長側(秀吉)に従う意思表明までしてるし光秀はハメられたかもね。(細川家は足利将軍家に仕えてた程の格式高い名家だから単純に謀反人に味方したくない気持ちもあっただろうけど。)
これだけで判断出来ないか...
正確には現在発見されている手紙としては‥。
これを明確な理由とするのは無理がある。無実の容疑者なのか、ただの実行犯なのか、画策して行動したのか、同じ「やった奴」でも、何もかも確かでは無い。誇張が過ぎる。
コメ欄の情報のほうが深くて勉強になるw
スクープ?使い古された手紙ですね永青文庫もこんな編集されたら出禁にしないと永青文庫は細川家の史料館なので細川家の都合のいいように解釈しますこれは歴史研究では常識ですよ
織田信長のような精神異常者の殺人鬼を駆除してくれてありがとうございます🙇
一説には秀吉が実は裏で糸を引いてた話もきいたことがありますね。サルと言われてたのは実はブチギレてたとか?出世のため我慢して聞きながしてた説も聞いたことあります。実際に関白になって聚楽第の壁にサルと落書きされて犯人ではなく警護のものを見せしめに死刑にしてますから。普通ではないですよ。家康説もありますが、既に細川親子と事前に同盟結ぶのもおかしいですよね。なんらかの企みがないと同盟なんて結ばないです。光秀をそそのかしたのは秀吉とゆうのも聞いたことがあります。即ち秀吉が光秀を信長が滅ぼそうとしているとそそのかしたとゆうことです。手紙では他の意図がないと言ってますが、これは光秀の娘が忠興の奥さん、後の細川ガラシャとなりますが罪が及ばぬよう書いた説もあります。光秀はほんまは秀吉は味方だと思い安心しきってたのですが裏切りにあったため兵を揃えるのが遅れたとも聞いたことあります。天下取りに悪い書簡は秀吉が細川家に命じて燃やせと言ってるとはおもいます。そうなら秀吉は残酷だと思いますよ。
藤孝「は? 今さら何綺麗事抜かしとんじゃボケ。思いつきで積年の思いで事起こしたくせに、こんな薄っぺらい戯言を7日以上経って寄越してくるのにも浅はか過ぎる。2日後には手紙寄越してきた藤吉郎の半分の知恵も無いんじゃろうな。事前に事起こすなら、予め手紙はしたためておくだろうよ。お主のそういうところがダメなんじゃ。忠興よ、お主はどう解釈する?」忠興「まったく、父上の仰る通りでございます。まったくもって猿以下の浅知恵。今の日ノ本において信長殿がうたれようと、織田方に代わる勢力は皆無。その織田方を裏切り敵方となった明智殿に味方する織田方家臣団がおりますでしょうか? 伊勢殿や徳川殿にも寝耳に水とやらで到底根回しがされていたとは思えませぬ。」藤孝「そうだな。根回しが出来ないようじゃ無理か~、、謀反には根回し入れておかないとね。」と声が聞こえてきそう😊
まさか500年後のRUclipsにトランス藤孝が生まれてくるなんて本人も思わないだろうな
まあ他意はないって書くわなw
本心は隠してわからない可能性は十分あるもんね
@@kyas182可能性があるというか、野望があるとかは手紙には書かないやろww 味方してもらうための手紙に本音はあるわけもない
最後まで見て時間を無駄にした。
何時伺っても興味津々の動画でした面白かったです。頭が良くて実行力がともっていて運がよければの歴史。人間誕生の初めの殺人から歴史が始まったは、その「あかし」になる史実!嗚呼人間よ。とこしえの平和は何時何処からくるか~?(92歳ポンコツ爺)
物は買っても恨みは買うな。やった奴はすぐ忘れるがやられた奴は一生忘れない。憎しみは憎しみしか生まない
最近わかったこと明智光秀は生きてた 荒木村重が身代わりになったみたいね。明智光秀は明智で生きてればいずれ殺されるから名前を変えた荒木村重に心深く感謝をしてたため。荒深に変えて生きてたみたい。でも。そんな変わった名前で生きてたらバレるってことで明智光秀の周りも名前を変えてくれたみたい荒深に感謝されてたんだね。
細川父子はこの時代はまだ長岡姓だよね!
光秀が秀吉にはとても及ばないと、細川親子ですらそう思っていたことは間違いないなんか当時の空気がそこはかとなく伺われる
斎藤アナ綺麗だなあ
「ごめんなさい、昨日〇〇君に告白されてOKしちゃったの。」辛いなあ。
別に同盟って絶対的なものでもないからねこう言っちゃなんだけど、後から告白してきた男の方が魅力的だと思ったら乗り換えるなんて悪いことでもないつまり光秀側の条件は魅力的ではなかったということ
本能寺の変が起きた原因がこうやって光秀が手紙で残してるのに何で今まで本能寺の変の原因の黒幕は誰誰詮索してたんだよ?
あくまでも内容が細川家への方便と言う事。事件を起こした犯人が自分を正当化している資料にすぎないから本当の目的は他にあると言う話。それに此の手紙が出されたのはまさに秀吉の大軍が迫ってきている状態。細川家に軍勢を出させるために何でも言わねばならないくらい危機敵状況。親密な筒井順慶すら曖昧な態度をとるくらい光秀には味方が居ない状態だった。天下どころか四面楚歌やよ。
歴史苦手そう笑
詮索した結果として黒幕なんていないってわかったんだから無駄な時間ではなかったまあ歴史のれの字も知らん奴にはわからないだろうが
ただこの手紙をまるっきり信じる人はまずいないと思う
細川と黒田の江戸の資料なぞ1ミリの価値も無い
なかなか知らないどんな日本語だよ
謀反を起こして、そのあとも普通に生き延びるつもりでいたのが驚きだな
ワイプ必要か?
やっぱ秀吉は知ってたと思う
次世代に託すという考えは信長のもので、世界を観たい信長は信頼できる光秀と一計を講じてバチカンへ向かったという説を採るなら、本能寺の変での光秀の不明瞭な動機を察することができます。この場合、家康も承知で天海(光秀と同一人物説)をブレーンに置いたとするならしっくりくる。秀吉も知った上で、次世代にはまだ荷が重いとかの理由で光秀を討ち取ったことにして天下取りに転じたのではないかと思ったりもします。
この様な歴史の資料が、残っているのは流石に日本ですね。隣国の様な歴史をねじ曲げる資料しか残ってない国とは違いますね。とても参考になりました。
このころの信長は塩分過多で病気、昔とは違う(マジで食事がヤバい)。
どこまで本心なのか、自分のことを正当化するのは当然、本当のことは書かないだろう。今ならP氏が隣国に宛てた手紙のような物。
郵便のない時代に誰が手紙を配達していたのだろうか。
この動画見て時間損したわ。謀反を起こした理由が、「次の世代に権力を渡すため」のはずがねぇだろが。
光秀の理由は説得力がなく、無理な方法です。
豊臣秀吉
@@ゴルゴル-o2lそれはすでに否定されてる
それは全くそのとおり。だから与党形成が出来なかった。光秀もたいして自信があったわけではないと思う。
他意が無いわけない。言い訳してるだけでしょう。
期待して見た俺がバカだった…何を今更の話しばかりで草も生えないわ…
貴重な資料だけども、この手紙は別に新発見って訳じゃないかな。恐らく、本能寺後で細川家に送った2通目とか3通目の手紙と推察する。内容としては1通目の内容より自らの引退、権力の譲渡、具体的な領土の報酬など大幅に譲歩した内容となっているんだと思う。自身の娘の婿の細川家に無視されるとは思っていなかったのだろう。かつ諸大名から思った以上に支持が集まらず、手紙からは明智光秀の焦りが伝わってくる。光秀の最大の敗因は本能寺にて信長の亡骸を見つけられなかった事。光秀のこうした手紙の裏で秀吉が信長がじつは生きていると触れ回っていたのが、光秀の正当性をより失わせた。
それにしても 資料が新すぎる 本当に400年前の紙かよ(笑)
手紙から察すればやはり突然天下取りへの野心が芽生えてやりましたと言う気が。
最近この手紙見つかったのかな?なんで今まで調べなかったんだろ?
明智光秀の本能寺の変後、細川父子に対して、息子さんに跡を継がせたいと、小説に載っていたよ。分かっていたけど…。
こんにちは(^-^*)/
謀反に計画性が欠けていたことは、成功直後からの光秀を見れば分かる。信長はパワハラ上司なのでそれなりに不満は溜まっていただろう。そこにふと気付くと信長の周囲が軍事力の空白地帯になっていて、凄い偶然に謀反可能な状況が揃っていると気付いて、衝動的にやってしまったのだろう。
謀叛人光秀からの手紙、何で破り捨てない?
こんな文字どうやって読むの?
それなー。当時の人は、読めたんだろうな。俺たちからすると、ミミズにしか見えないのに。これを解読してる学者もスゲーや。
近所にいる古文書サークルのお年寄り達に聞くと「慣れると読めるようになる」って言ってた。
ムスカ大佐「ハァハァ!読める!読めるゾォぉぉぉ」
是非ニ及バズ
光秀、詰めが甘い
タイトルほどスクープではない。まぁ今のメディアではコレが限度。
昔から知れ渡ってる手紙を何をいまさら
この話って既に公開されてる話しなので目新しさは無かった。
割と有名な話しじゃないですかこれこんなのより吉田兼見の日記で光秀に面会して京都の治安維持を依頼した時に今回の件の存念を聞いたっていうところの方が気になりますね何を語ったのかまで書いてくれてればね
もう一度…言いたい!既に多くの方が知っている事!大河の秀吉で…村上︰光秀がセリフでも言っている!テレ朝…何がしたかったの??
忘れてはいけないのは細川忠興にとって都合の悪い資料は処分されてる可能性があるということ
そういう「行間」を読むのも大事
で、あなたの読んだ行間はなんなのですか?
忠興は光秀の誘いをきっぱり断ってるし、細川家は忠興のやばいエピソードを公式の歴史書(綿考輯録)に残すくらい自家の過去に誠実なの知らなさそう
光秀に賛同しなかった忠興にとって都合の悪いことって何?
光秀の娘の細川ガラシャのことやないですかね。もし光秀がうたれたら細川家に害が及び、関ヶ原以前に早々に細川家が秀吉に謀反加担したと切腹をせまられてもおかしくはないですから。細川ガラシャすなわちたまこは丹波に3年間幽閉されております。このあたりは秀吉と密約があったような気がしますね。たまこさんは可哀想なお人です。
都合の悪いことは秀吉とのつながり。万が一秀吉が織田家に謀反をくわだてていると露見したら羽柴家ともどもお家断絶なります
@ 秀吉は謀反なんて企ててないから
これは以前から知られていた資料で別に新しいものではない。
その上でいろいろな意見があるのですから。
この辺りの時代には詳しくないけど、今さら新資料が見つかったら史学会がひっくり返ると想像がつく。だが今回の史料だけでも、大河で描かれる人物像の出典が少し見えた気がする
秀吉さん手回すの一歩早いな。さすが。
三国干渉の際のロシアの「極東の平和のため」という名目上の理由を見て「ロシアは極東の平和のために三国干渉をしたんだ!」って言ってるようなもんやな
日本が極東平和のためとアメリカに奇襲攻撃したようなもんかな。
最後まで成功しなければ安定の反逆者になっちゃうね
俺らがLINE送るときも本音と建前を全力駆使してるんだから400年前もそうだろって思う
いや本当に君は素晴らしいね
By井沢元彦
平安時代やら古代エジプトの人らも「最近の若い者は」って言ってるからな
根本は変わらない
昔は建前がもっと大事だったしな。
光秀の手紙は言い訳と方便であって、そこのところを深読み出来る聴き手を付けて欲しかった。
古い資料を写真では見たことあっても、解説付きで見たのは初めてです。直筆の手紙をよく見れました、ありがとうございます🎀
他意はない。は無理がある。自分のためではないとは、ただの方便に過ぎない。
>他意はない。
思わず斎藤元彦の「認識はない」「記憶にない」思いついた。
今回の公職選挙法違反に対してもなお「認識している」「認識はない」とか正面から答えずに曖昧に逃げ答弁繰り返してるのが腹立たしい。
@@waiz_acいや、本人の映像あるんやけど?
そりゃそういうしかないよな。昔の人だってバカじゃないw
昔からある手紙じゃん、どこが発見よ。さすがTV。
史料批判の方法を理解しなくても「他意はない」をそのまま受け入れる人はいないでしょうね
2:37 1か月はおろか光秀の軍勢に囲まれるまで疑っていなかったので討たれた。
光秀側からすると(いつから叛意があったか分からないが)ずっと秘匿あるいは決断していなかったために信長は油断したが、同時に誰にもぎりぎりまで打ち明けていなかったので計画性が無かった。
(信忠宿泊の妙覚寺を囲まず、逃げられてもおかしくなかった。また、山岡景隆に瀬田橋を焼かれて安土への行軍が遅れた。これは相対的に秀吉の東征が早くなったということでもある)
この内容はすでに歴史好きなら、皆知ってると思います。
新事実が発見されたのかとドキドキしたけど、なんだ。
こんな手紙、もう嫌と言うほど調査研究済みだろ。今初めて分かった事みたいに言うなよ。そもそも人は手紙で本心を語るとは限らない。
6/9付の手紙は結構前に発見されています。
いくら?マークをつけているとはいえ、『スクープ』と銘打つのはおかしいと思料します。
だから信用できないんです、マスコミを。
「明智光秀覚三条」は実物を見てきたが絵画のように美しい手紙である。空間の使い方、字の美しさなどこの永青文庫の中でも別格だった。あまりに美しいので右筆が作成したのではなかろうかと思うのだがもし本当に光秀の自筆ならば私は光秀の知性を一段下に見ていた事になる。まるで工芸品を思わせる手紙の美しさから光秀が坂本城・丹波亀山城・福知山城を作った城作りの名手、すなわち優れた建築家だった事を改めて思い起こされた。
スクープが資料館にあるなんてどこがスクープなんだよアサヒさん
意外と価値が分からずに収められてるのあるよ
地元の人しか認識してない遺跡みたいなもんか
証明されて初めて意義のある資料になる。まだまだ歴史には伸び代がある。面白い!
少なくともこんな手紙はず〜っと前から知られていたし、その中にある理由は単に細川を味方につけたいが為の方便だろうとされていて殆ど注目されてないわな
@@fuyugaki 稲葉教授が仰るように、残っている手紙は限られており真相なんて大して分からない罠。だが長谷川光秀が書きそうな書状ではある
皆様がご指摘のとおり、50年以上前から知られている。
また光秀の花押が他の光秀の書状と若干異なっており、
近年では偽書ではないかとの指摘もある。
この手紙を読んで思ったのはルイスフロイスの日本史に書かれているように光秀はそもそも権謀術数に秀でた陰謀が得意だけど、戦略は全然考えてない人間で、逆に信長は優れた戦略家だったけど、権謀術数に疎くて騙され撃たれんだろうってこと。
良い見解ですね!
だから相性が良く、信長は信頼していた。
@@Dracaena-ng9uiありがとうございます😊自分を重用してくれている信長を討つと言うとんでもないことしておきながら、その後に一緒に行動してくれる人間を事前に根回してなかったのは明らかに計画性がないですし、その後誰も味方になってくれていなから人望も無かったんでしょう。嘘つきには誰もついて行きませんからね。数多くの有能な武将が集まって来た信長とは真逆です。
お主と意見が一致したな・・認めよう!
偏差値秀才だな
実際に本能寺の変に参加した武士の記録である本城惣右衛門覚書にはあの変の時に本能寺の門は開け放たれてあったとある。驚くべき事である。現代の平和な日本ですら自分の家の鍵をかけない人は稀だろう。
あの天正10年6月までに信長は敵という敵を殺し尽くし、裏切りそうな味方は追放しまくってもう安心しきっていたのである。「油断するな」は信長が部下に送る手紙にしばしば出る言葉だったが、その当人があの6月1日の夜には油断しまくっていたのである。
本能寺に一番乗りをした本城惣右衛門は敵兵の首を二つ取り、褒美として槍を一本もらったとある。
最終日12月1日に母と永青文庫に参りました。母方の江戸後期の先祖が天皇家に関わる為に古代からの家系がネットで確認出来る為に
先祖の男系先祖が藤原兼家、道長、頼通と分かり、他に学校で学んだ多くの歴代の先祖がおり驚きました。
明智光秀とは前田利家とまつの末娘の千世姫と細川忠興とガラシャの息子の忠隆との娘の徳姫が西園寺実晴に嫁ぎ直系先祖となります。永青文庫の展示品は全て湿温空調機で保存されておりました。信長の手紙も興味深く明智光秀の3箇状は光秀の気持ちが伝わる感じでした。僧侶への征伐は本能寺の変迄続いたとある本で知りましたが、このままではとの思いが有ったと勝手に思っております。
光秀の手紙の隣に信長の側近をしていた先祖の堀秀政の文章が有り、又細川幽斎と忠興の甲冑も展示されておりとて幸せでした。
帰りに美しい細川庭園を散策して帰りました。
91歳の母からは感謝されました。こちらの動画を見なければ見逃しするところでした。
有難う御座いました。
光秀の手紙自体は相当以前に見つかっており、知っていた。おそらく内容を知っている人もかなり多いのではないか。ただし、本能寺の変を起こした目的がはっきりしていない。すなわち、どうして信長を亡き者にしたのか、またどうして自分は隠居して天下を忠興や自分の息子のものとしたかったのか、書かれていない。そのあたり、細川藤孝は知っていたのか?もちろん知るわけは無いが。
そもそもとして現代の一般人の価値観と戦国時代の武将の価値観が同じなのか?っていう問題
よく言われてるけど、光秀は優秀だからもっと綿密に計画するはずとかいう考察も現代の感覚から出てくる発想でしかない
戦場で一か八かの奇襲するように、勢いで謀反やることも十分に考えられる
だいたい上手くいった話しか語られないだけで失敗した話も当然あるわけで
その失敗した話が歴史を大きく変えたからここまで語られて、あれやこれやと考察されてるだけ
その発端は朝廷とかではなく、「イケそうだったから行った」っていうしょうもない理由なのかもしれない
明智光秀は若いころから細川藤孝を知ってるわけだし、細川忠興の正室は明智光秀の娘。細川家と事前に相談しなかった理由はどこにあるんでしょう?計画的ではなかったということなのだろうか。
機会があれば下剋上はしようと思っていたでしょう
その機会がたまたま揃ったということですね
有力武将は畿内にはおらず、敵と戦闘中で畿内にはずぐには戻れない(柴田、羽柴)。滝川一益も関東ですぐには帰還できず、四国遠征軍は編成途上。
有力武将の徳川はわずかな供回りで堺、織田家最大軍団を率い家督も継承している信忠(美濃・尾張・甲斐・信濃を支配)は、やはり僅かな供回りで京に滞在していて(会長:信長、社長:信忠)同時に討ち果たすことが出来る。
条件が一つでも揃わな刈れば実行はしなかったでしょう。誤算は秀吉の素早い軍勢を率いての帰還であり、これがなければ明智の天下になっていた可能性が高いです。
光秀としては、細川藤孝その他に根回しはできていたつもりだったんじゃないかなぁ。勝算がなければやっぱり打って出ないと思うんだ。
@@くら-h8j
事前に根回しなどしていたら、そこから謀反計画が漏れる可能性があるのでやってないでしょう。
勿論、勝算があるので信長、信忠を同時に殺したわけで、筒井などは秀吉の大返しが早く、結局は洞ヶ峠になりましたが光秀に合流しようとしてました。細川も同じで、いやいやながらというポーズで合流していたでしょう。あと一週間、秀吉の帰還が遅ければ光秀の天下になっていた可能性が高いと思います。
謀反は事前に言えないともいえますが、親戚とは言え与力大名の細川藤孝には悩みを相談しない。実際に謀反をきめてから、実行までは短時間になされた、計画性はないものだったのだろう。
光秀の手紙がどこまでが本心であるかはともかく、個人的に「他意はない」には光秀の焦りのようなものが感じられるんですよね。
変を知ったところで寡兵の丹羽はもちろん、羽柴、柴田、滝川が直ぐに軍を動かせる状況ではないという事は折り込み済みだったでしょうけど、それでも畿内周辺の有力者を可能な限り迅速に取り込んでおかなければ、いずれは窮地に立たされる事になるわけで、特に姻戚関係にあった細川に対しては光秀の懇願にも近い思いが込められているように思えますね。
忠興と秀吉の裏の関係性•やりとりも分かっていた。綱引きですよね。
なんかもう
必死だな
という感想しかないですねこの手紙
細川と明智の内々の手紙は、秀吉に見つかる前に細川自身が処分してるだろうから真相は謎だな
真相も何も光秀方に付かなかっただけだぞ
勝手に妄想するのは歴史学じゃない
@ 別に俺学者じゃないから、勝手に想像してワクワクするのも歴史の醍醐味だろ
@@metalgakip6362 「妄想の醍醐味」な?
この時代「他意はない」は真実であっても、もっとも怪しまれる言葉。
嘘でも、欲のある言葉を吐かないと人は信じない
なぜ今、朝日が取り上げて放送するのだろう。
明智光秀🟰長谷川博己になってしまう
やっぱ歴史ってめちゃくちゃ面白いな
重要文化財だね
備中高山城ってなんだよ。高松な。ニュースしっかり!
これは以前から存在分かってた手紙じゃん。
こういう驚いた表情の美人も良い♡
光秀の手紙の冒頭部分「しかし、こうなったからには」という部分が引っかかる。
スクープ?ってメディアが敵視するsnsの大好きな釣りタイトルですね。
スクープでもなんでもないのがわかってるからこその「?」
こういう積み重ねが信頼を失う原因だと気づかないのだろうか
引っ張ったわりに知っていた話し悲
11月5日の西日本新聞に、連載中の和田竜「最後の一色」でこの手紙のことが出てくるけど偶然ですかね
偶然ではないと思いました。
昔より今が大事。
歴史は作り替えられる。
これは重要だ 陰謀論に終止符かぁ
赤い服のお姉さんが美人で、話しが入って来ない。
元乃木坂46の斎藤ちはるさんですね
話し
@@wolverin0001240代前半の美魔女かと思った
私は明智光秀、武田家と内通説が今一番信じています。
朝も地上波視ていましたが斎藤ちはるアナウンサー色っぽくなりましたね。
なぜ今更この書状を?
日本中に手紙が飛んで、旧家の土蔵に人知れず眠っていたものが、先の戦争の空襲で焼けてしまった。多くが失われたことは残念である。
はんにゃ金田「はああぁぁ~~ 本応寺燃えとるしぃ~~~」
他意は無いの意味がわからん。周り敵だらけなのに次代に引き渡すって、死なせたいのかね。
光秀の一番の特技は「嘘をつくこと」だよ。
信長は明智のことをイジり過ぎたよな😅
目新しいものではない。三十年以上前に内容解ってます。五十日いや百日で、畿内を征す…云々…どこが新発見なのか?何方か同じ指摘されてますね。
明智光秀「ムシャクシャしてやった」
はんすうしている
光英の手紙だけで、真実は分からない。本能寺の変後の手紙なら尚更分からない。決めつけは良くない。むしろ方便の可能性大。
秀吉と藤孝の同盟成立が早過ぎはしないか?
やはり秀吉は事前に本能寺が起こる事をしっていたのか?
やっぱ秀吉怪しいよなぁ。
@
あの思うんだけど、秀吉は高松に居たのにこれだけのスピードで藤孝とどう同盟を成立させたのか?とても不思議です。
手紙のやり取りだけでも結構な日数が必要だと思いますし・・・
@@俺参上-j2d 光秀は単純に距離が近いから分かるんやけどそれを上回る圧倒的速度で同盟締結までやってる秀吉は不自然だよなぁ。光秀が1番の盟友である細川家を頼るだろうと読んで先手を打ってたとしか思えん。
@@-45om78
返信ありがとうございます。
藤孝が本能寺を知ったのが翌日らしいです。
どちらにつくのか?迷ったと思いきやその日に光秀に絶縁状を送ってるらしいです。
光秀は秀吉、藤孝にハメられたのでしょうか?
歴史とはとてもミステリーですよね。
@@俺参上-j2d 翌日に知るや否や細川親子で髪を剃って信長側(秀吉)に従う意思表明までしてるし光秀はハメられたかもね。(細川家は足利将軍家に仕えてた程の格式高い名家だから単純に謀反人に味方したくない気持ちもあっただろうけど。)
これだけで判断出来ないか...
正確には現在発見されている手紙としては‥。
これを明確な理由とするのは無理がある。
無実の容疑者なのか、ただの実行犯なのか、画策して行動したのか、同じ「やった奴」でも、何もかも確かでは無い。誇張が過ぎる。
コメ欄の情報のほうが深くて勉強になるw
スクープ?
使い古された手紙ですね
永青文庫もこんな編集されたら出禁にしないと
永青文庫は細川家の史料館なので細川家の都合のいいように解釈します
これは歴史研究では常識ですよ
織田信長のような精神異常者の殺人鬼を駆除してくれてありがとうございます🙇
一説には秀吉が実は裏で糸を引いてた話もきいたことがありますね。サルと言われてたのは実はブチギレてたとか?出世のため我慢して聞きながしてた説も聞いたことあります。実際に関白になって聚楽第の壁にサルと落書きされて犯人ではなく警護のものを見せしめに死刑にしてますから。普通ではないですよ。家康説もありますが、既に細川親子と事前に同盟結ぶのもおかしいですよね。なんらかの企みがないと同盟なんて結ばないです。光秀をそそのかしたのは秀吉とゆうのも聞いたことがあります。即ち秀吉が光秀を信長が滅ぼそうとしているとそそのかしたとゆうことです。手紙では他の意図がないと言ってますが、これは光秀の娘が忠興の奥さん、後の細川ガラシャとなりますが罪が及ばぬよう書いた説もあります。光秀はほんまは秀吉は味方だと思い安心しきってたのですが裏切りにあったため兵を揃えるのが遅れたとも聞いたことあります。天下取りに悪い書簡は秀吉が細川家に命じて燃やせと言ってるとはおもいます。そうなら秀吉は残酷だと思いますよ。
藤孝「は? 今さら何綺麗事抜かしとんじゃボケ。思いつきで積年の思いで事起こしたくせに、こんな薄っぺらい戯言を7日以上経って寄越してくるのにも浅はか過ぎる。2日後には手紙寄越してきた藤吉郎の半分の知恵も無いんじゃろうな。事前に事起こすなら、予め手紙はしたためておくだろうよ。お主のそういうところがダメなんじゃ。忠興よ、お主はどう解釈する?」
忠興「まったく、父上の仰る通りでございます。まったくもって猿以下の浅知恵。今の日ノ本において信長殿がうたれようと、織田方に代わる勢力は皆無。その織田方を裏切り敵方となった明智殿に味方する織田方家臣団がおりますでしょうか? 伊勢殿や徳川殿にも寝耳に水とやらで到底根回しがされていたとは思えませぬ。」
藤孝「そうだな。根回しが出来ないようじゃ無理か~、、謀反には根回し入れておかないとね。」
と声が聞こえてきそう😊
まさか500年後のRUclipsにトランス藤孝が生まれてくるなんて本人も思わないだろうな
まあ他意はないって書くわなw
本心は隠してわからない可能性は十分あるもんね
@@kyas182可能性があるというか、野望があるとかは手紙には書かないやろww 味方してもらうための手紙に本音はあるわけもない
最後まで見て時間を無駄にした。
何時伺っても興味津々の動画でした面白かったです。頭が良くて実行力がともっていて運がよければの歴史。
人間誕生の初めの殺人から歴史が始まったは、その「あかし」になる史実!嗚呼人間よ。
とこしえの平和は何時何処からくるか~?(92歳ポンコツ爺)
物は買っても恨みは買うな。やった奴はすぐ忘れるがやられた奴は一生忘れない。憎しみは憎しみしか生まない
最近わかったこと
明智光秀は生きてた 荒木村重が身代わりになったみたいね。
明智光秀は明智で生きてればいずれ殺されるから名前を変えた
荒木村重に心深く感謝をしてたため。
荒深に変えて生きてたみたい。
でも。そんな変わった名前で生きてたらバレるってことで明智光秀の周りも名前を変えてくれたみたい荒深に感謝されてたんだね。
細川父子はこの時代はまだ長岡姓だよね!
光秀が秀吉にはとても及ばないと、細川親子ですらそう思っていたことは間違いない
なんか当時の空気がそこはかとなく伺われる
斎藤アナ綺麗だなあ
「ごめんなさい、昨日〇〇君に告白されてOKしちゃったの。」辛いなあ。
別に同盟って絶対的なものでもないからね
こう言っちゃなんだけど、後から告白してきた男の方が魅力的だと思ったら乗り換えるなんて悪いことでもない
つまり光秀側の条件は魅力的ではなかったということ
本能寺の変が起きた原因がこうやって光秀が手紙で残してるのに何で今まで本能寺の変の原因の黒幕は誰誰詮索してたんだよ?
あくまでも内容が細川家への方便と言う事。事件を起こした犯人が自分を正当化している資料にすぎないから本当の目的は他にあると言う話。それに此の手紙が出されたのはまさに秀吉の大軍が迫ってきている状態。細川家に軍勢を出させるために何でも言わねばならないくらい危機敵状況。親密な筒井順慶すら曖昧な態度をとるくらい光秀には味方が居ない状態だった。天下どころか四面楚歌やよ。
歴史苦手そう笑
詮索した結果として黒幕なんていないってわかったんだから無駄な時間ではなかった
まあ歴史のれの字も知らん奴にはわからないだろうが
ただこの手紙をまるっきり信じる人はまずいないと思う
細川と黒田の江戸の資料なぞ1ミリの価値も
無い
なかなか知らない
どんな日本語だよ
謀反を起こして、そのあとも普通に生き延びるつもりでいたのが驚きだな
ワイプ必要か?
やっぱ秀吉は知ってたと思う
次世代に託すという考えは信長のもので、世界を観たい信長は信頼できる光秀と一計を講じてバチカンへ向かったという説を採るなら、本能寺の変での光秀の不明瞭な動機を察することができます。
この場合、家康も承知で天海(光秀と同一人物説)をブレーンに置いたとするならしっくりくる。秀吉も知った上で、次世代にはまだ荷が重いとかの理由で光秀を討ち取ったことにして天下取りに転じたのではないかと思ったりもします。
この様な歴史の資料が、残っているのは流石に日本ですね。隣国の様な歴史をねじ曲げる資料しか残ってない国とは違いますね。とても参考になりました。
このころの信長は塩分過多で病気、昔とは違う(マジで食事がヤバい)。
どこまで本心なのか、自分のことを正当化するのは当然、本当のことは書かないだろう。今ならP氏が隣国に宛てた手紙のような物。
郵便のない時代に誰が手紙を配達していたのだろうか。
この動画見て時間損したわ。
謀反を起こした理由が、「次の世代に権力を渡すため」のはずがねぇだろが。
光秀の理由は説得力がなく、無理な方法です。
豊臣秀吉
@@ゴルゴル-o2lそれはすでに否定されてる
それは全くそのとおり。だから与党形成が出来なかった。
光秀もたいして自信があったわけではないと思う。
他意が無いわけない。
言い訳してるだけでしょう。
期待して見た俺がバカだった…何を今更の話しばかりで草も生えないわ…
貴重な資料だけども、この手紙は別に新発見って訳じゃないかな。
恐らく、本能寺後で細川家に送った2通目とか3通目の手紙と推察する。
内容としては1通目の内容より自らの引退、権力の譲渡、具体的な領土の報酬など大幅に譲歩した内容となっているんだと思う。
自身の娘の婿の細川家に無視されるとは思っていなかったのだろう。
かつ諸大名から思った以上に支持が集まらず、手紙からは明智光秀の焦りが伝わってくる。
光秀の最大の敗因は本能寺にて信長の亡骸を見つけられなかった事。光秀のこうした手紙の裏で秀吉が信長がじつは生きていると触れ回っていたのが、光秀の正当性をより失わせた。
それにしても 資料が新すぎる 本当に400年前の紙かよ(笑)
手紙から察すればやはり突然天下取りへの野心が芽生えてやりましたと言う気が。
最近この手紙見つかったのかな?なんで今まで調べなかったんだろ?
明智光秀の本能寺の変後、細川父子に対して、息子さんに跡を継がせたいと、小説に載っていたよ。分かっていたけど…。
こんにちは(^-^*)/
謀反に計画性が欠けていたことは、成功直後からの光秀を見れば分かる。信長はパワハラ上司なのでそれなりに不満は溜まっていただろう。そこにふと気付くと信長の周囲が軍事力の空白地帯になっていて、凄い偶然に謀反可能な状況が揃っていると気付いて、衝動的にやってしまったのだろう。
謀叛人光秀からの手紙、何で破り捨てない?
こんな文字どうやって読むの?
それなー。
当時の人は、読めたんだろうな。
俺たちからすると、
ミミズにしか見えないのに。
これを解読してる学者もスゲーや。
近所にいる古文書サークルのお年寄り達に聞くと「慣れると読めるようになる」って言ってた。
ムスカ大佐「ハァハァ!読める!読めるゾォぉぉぉ」
是非ニ及バズ
光秀、詰めが甘い
タイトルほどスクープではない。まぁ今のメディアではコレが限度。
昔から知れ渡ってる手紙を何をいまさら
この話って既に公開されてる話しなので目新しさは無かった。
割と有名な話しじゃないですかこれ
こんなのより吉田兼見の日記で光秀に面会して京都の治安維持を依頼した時に今回の件の存念を聞いたっていうところの方が気になりますね
何を語ったのかまで書いてくれてればね
もう一度…言いたい!
既に多くの方が知っている事!
大河の秀吉で…村上︰光秀がセリフでも言っている!テレ朝…何がしたかったの??